ひと昔前は
「夏はジブリ!」
と某〇テレの宣伝がかまびすしかったが……いや、それは今もか。春夏秋冬「〇はジブリ!」と言ってるけど。
まあそれはともかく、最近は
「夏は細田守!」
でも違和感なくなってきた。ジブリ映画の専売特許ではなくなってきた感がありますよね。
代表作である「時をかける少女」と「サマーウォーズ」の舞台が夏で、どちらも真っ青な空に真っ白な入道雲が印象的な作品だからかな。
宮崎駿監督の後継の1人として挙げられることも多い細田守監督だが、この人の作品は評価がはっきりと二分されるみたいだ。
「おおかみこどもの雨と雪」が、私はとても苦手で、見ていると何故だかむくむくと不快感がこみあげてきて、見終わった後も胸の中にざらっとイヤなものが残った。
なので、「バケモノの子」も見る前にちょっと身構えてしまっていた。が、実際見てみると、予想以上に面白く、楽しめた。
以下、感想。
ネタバレは大いにしております。
閲覧注意。
アニメのよさは、アニメだからこそ「実写よりも美しい映像を作ることが出来る」という点にある。
細田作品でも、映像の美しさは遺憾なく発揮されている。特に冒頭、バケモノの世界とキャラクターが炎のシルエットで紹介される場面、私は好きだ。ダイナミックな動きが文句なくカッコいいし、これから始まる物語を予感させて、ワクワクさせられる。
「バケモノ」とは言いながら、描き出される異世界は秩序が保たれ、人々は平和に暮らしており、街並みや大自然の描き込まれた描写にも目を奪われる。
キャラクターもいいですね。九太も熊徹も好き。西遊記を思わせる百秋坊と多々良もよい。この辺は皆役者が達者。
宮崎あおいはうまい俳優だなあと思う。
あと、リリー・フランキーね。あのキャラの容姿はアテ書きかな。声の質も台詞回しも聞いていて安心する。
こういう比べ方はアレなのかもしれんけど、細田監督は俳優(職業声優でない)の使い方がパヤオよりもうまいと思う。違和感を覚えるキャスティングがあまりない印象。
初見は楽しめたんだ。予想していたよりも面白く、作品世界に惹きこまれた。
ただ、二度、三度と繰り返し見てみると、アラが目につく作品でもある。
そのー……色々と「惜しい」んですよね。
ひとつには多分、「言葉足らず」「説明不足」が大きいんじゃないかと。
分かりやすいのが冒頭だ。
大泉洋とリリー・フランキーが、これから始まる物語の口上を述べる。
「昔むかし、いやそれほど昔じゃねえ。ほんの少し前のできごと」
と、時代がいつなのか、はっきりとは分からない風にぼかしてあるのは悪くない。「お話」だからね。
しかし、熊徹の説明が惜しい。
粗暴、傲岸不遜、手前勝手と短所を述べた後に、
「弟子の一人もいやしねえ」
「まして、息子なんかのいるはずもなかった」
と続けている。
普通に聞き流していたんだけど、かすかに引っかかっていた箇所だった。
考えてみれば答えは簡単で、「弟子」➝「息子」が飛躍しすぎているのだ。
「弟子の一人もいやしねえ。嫁に来たいと願うものなどいるはずもない」
ときて、
「だから、息子なんか望みようもなかったのだ…」
と続くなら、「弟子」➝「嫁」➝「息子」と、人間関係の近さがなめらかになって、飛躍がない。
話すとき、しばしばこういう飛躍をやらかす人は多い。かく申す私自身もその傾向がある。
本人の頭の中では辻褄が合ってるんだけど、他人に話すときは、分かりやすいよう所々注釈を入れなければならない。それを怠ると、
(あ?………あー、そういうことね)
と、聞いた方が理解するのにタイムラグが生じることになる。その分、ストレスを強いられることにもなる。
ちょっと考えて分かるならまだいいけど、考えても(??結局なんだったんだ?)となったら、モヤモヤがもっと大きくなる。
これは、細田監督のクセなのかなあ。「バケモノの子」全編にわたって、随所にこの「説明不足」「言葉足らず」が見られるんだよね。
熊徹のライバル猪王山は、人間の子に構う熊徹をいさめるのに、自分も人間の子を育てている。その矛盾についても説明がない。
宗師様の後継は、技量から言っても人品骨柄から言っても猪王山で決まりなはずで、周りの異論もなさそうなのに、何故強いだけで教養もなく粗暴な熊徹がライバル候補に挙げられているのか、そして宗師様から寵愛されているのか、それも分からず。
バケモノの世界と人間の世界がどういう法則で成り立っているのかも分からない。
細田監督の頭の中では、裏設定とか、しっかりあるのかもしれない。
でも、これまで色んな物語で慣れ親しんだ「異界」のルールがまったく見られないので、この作品の世界観がよく分からないのだ。
バケモノたちも九太も、好きに行き来出来るみたいだし。「千と千尋の神隠し」みたいに、「その世界のものを食べないと消えてしまう」という決まりもないみたいだし。
普通は、異界に行ったからには、その人間は何かを失うのだ。だけど、九太はバケモノの世界で育てられたというだけで、人間界にも身内はいるし、誰も彼のことを忘れていない。
何も失わず、ペナルティも負わず、せいぜい名古屋と大阪を行き来するような気軽さで、人間界とバケモノ世界を行ったり来たりしている。
(え……じゃあ、バケモノの設定、要る……?)
てなるよね。
ビジュアル的には面白いけど。
冒頭で、「息子」と言及されているから、これは熊徹と九太の、父と息子の物語なんだな、と思って見るわけじゃないですか。
ところが、実の父親も無事生きてるんですよね。そんで、ちょっと探したら会えちゃう。あれも拍子抜けだった。
(え、そんな簡単に会えちゃうの…?)
みたいな。
まあでも、そんな疑問も最初はうっすら感じるのみで、一応楽しく見てたんだけれども。
終盤に差し掛かり、いきなり物語のメインが一郎彦になったから、戸惑うよね。
完全に闇に呑まれた一郎彦が主役になってしまった。
熊徹と九太の親子の信頼関係を描きたい監督の意図は理解出来ないこともないけど、それにしても、終盤で物語を動かすのが一郎彦なので、お話の軸がよく分からなくなってしまった。
よく分からないと言えば、楓の存在もよう分からん。
広瀬すずも、力のある女優だと私は思うけど、本作ではちょっと浮いてるし、キャラの存在意義が謎。
多分、要素を詰め込みすぎなんじゃないかなあ。
人間界とバケモノ界、血のつながらない親子、血がつながった親子、遺伝と環境、闇に呑まれる心の弱さと真の強さ、そんなものを散りばめたお話を作りたかったんだと思う。それは理解出来る……というか、推察は出来る。
ただ、「散りばめた」になってないんだ。単に「散らかってる」印象。
だから、それぞれのエピソードの繋がりが弱い。優れた作品は、縦糸と横糸が組み合わさって、全体を遠くから見たときには見事な模様が描き出されているものだけれど、残念ながら、「バケモノの子」にはそれがない。
見終わった後、
(……結局、監督の伝えたかったことは何だったんだ…?)
と、頭の上にはてなが浮かぶ。
つまりは、デザイナーであり織り手である監督の腕の問題なんだろう。
と言って、「面白くない」と言ってるんじゃないんだ。
面白いには、面白いんですよ。見ごたえがある。演技もよい。
だからもっと物語を推敲して欲しい。説明するべきところはきちんとして、物語世界の法則が観客によく分かるようにしてくれたら、もっと入り込んで鑑賞出来ると思う。
枝葉の部分はとっぱらって、メインテーマをくっきりと示して欲しい。
昨今、映画やドラマに「分かりやすさ」ばかり求める視聴者が増えたと聞く。それは私もそう思う。
描写から、あるいは台詞の文脈から、描かれていないことを「察する」「読み取る」読解力が低い視聴者が増えているような気はする。
だけど、細田監督の作品の分かりにくさは、そういうことではないと思う。
そこは表現者として、手を抜いてはいけない、丁寧に作らないといけない部分ではないのかなあと、私は思います。
なんだかんだ、こうして長文の感想を書くくらいには面白かったのだ。
なので是非、細田守監督には、もうちょっとだけ頑張ってもらって、自分の趣味だけでなく、広く一般の人にも理解できるような作品を作っていただきたい。
こんな世の中だ。良質なエンタメ作品が一つでも多く作られることを願ってやまない。
よろしくお願いします。