「チェリまほ THE MOVIE」を観て「おっさんずラブ」の特別さに気づいた話。
そう言えば、「チェリまほ」の劇場版、観に行きました。
行きましたとも。当然。
ただ、その頃はなんかもう色々大変で、とてもじゃないけど映画の感想を書くどころではなかった。
あーそう、「チェリまほ」の映画を観にいくことだけが楽しみだったような気がする。思い出してみると。
しかし、イヤなことは過ぎてしまえばキレイさっぱり忘れてしまうタチのワタクシ、今や何がそんなに辛かったのか、全然覚えていない。
ただ、表題の通りの感想を抱いたことは確かだ。
もちろん、面白かったのだ。
安達と黒沢に再び会えるのはもちろん、豊川の変わらぬ面々にスクリーンで再会できるのはとても嬉しかった。
ドラマの終了とともにいったん閉じた世界が、再び開かれ、画面の中の時計が時間を刻んでいく。
安達と黒沢の関係性にも変化が訪れ、次のステージへと進んでいく。
それは、「おっさんずラブ」で観たいと熱望し、叶わなかった願望でもあった。
愛を育み、深めていく二人を、スクリーンごしに見つめ、登場人物に感情移入して涙し、ラストの幸福感にまた泣いた。
大判のタオルハンカチを持っていてよかった。
私は、とても満足した。
(ああ、観てよかった。幸せになった)
とつくづく感じた。
安達と黒沢、柘植と湊、藤崎さんも六角も浦部さんも、みんなみんな、いつまでも幸せに暮らしてほしい。
劇場版を作ってくれた皆さん、ありがとう。いいものを見ました。と心から感謝した。
……で、1か月後、もはや「チェリまほ」のことを思い出さなくなっている自分に気づいた。
これは、「おっさんずラブ」劇場版を見たあとには起こらなかった(起こり得なかった)現象だった。
なぜか。
ひとつには、やはり物語がこの上ない形で「完結」したからだ。
安達と黒沢の愛は結実した。周囲に祝福されて、晴れて結ばれたのだ。
それはつまり、
「そして2人は幸せに暮らしました」
というおとぎ話の結びと同義なわけで、私の脳内でも「チェリまほ」の物語の最後に「Fin.」の文字が書きこまれた、ということだった。
(そうか……)と、自分でも意外だった。
欠けることなく、歪なところのない完全な円の形で、文字通り大団円を迎えた「チェリまほ」のラブストーリー。
であるがゆえに、私の中で「チェリまほ」の脳内書籍はぱたんと閉じられたのだった。
閉じられた本は、書棚に戻され、以後思い出すことはなかった。
そういうことなんだと思う。
そうでないチェリまほファンは大勢いると思う。
劇場版に感動し、忘れられず、何度となく観に行ったという人、たくさんいるはず。
ただ、私はそうでなかった。そうであってもおかしくなかったのに、予想に反して、醒めるのが早かった。
それが自分でも気になって、色々と分析してみた、という話。
「おっさんずラブ」は全然違った。
「面白かった」と一言で言える内容ではなかった。賛否両論あったけど、私は(面白い!!!)と思ったし、(出来れば分かる人と分かち合いたい!!!!)と思った。
観た後も興奮さめやらず、せっせせっせと感想文を投稿した。書いても書いてもおさまらなかった。
だから、また観に行った。観に行って、また感想を書いた。それを都合8回繰り返して、なお気が済まず、レビューを書き続けた。
そしてその後、OL民なら忘れることの出来ない、続編制作発表があった。
幸せな気分は一気に地に落ち、悶々とする日が続くことになった。
それはつまり、「了」の字を入れることが出来なかったということなんだと、今頃になって初めて気づいた。
物語自体もそうだ。チェリまほと違い、牧は春田とせっかく心が通じ合ったのに、仕事で次のステップに進むことを選択し、離れ離れになる。
2人の幸福な未来が暗示されるエンディングではあったけど、
「ずっと一緒にいる2人が見たい」
というファンの願望を満たすものではなかった。
そこへ持ってきての、あのタイミングでの続編発表。
そこまではまだ冷静さを保っていた私も、いざsky編が始まって、前作ファンをないがしろにした制作側の浅薄な思惑に気づいてキレ、完全に見限った。
この時点で、「おっさんずラブ」は、永久に未完の物語になったのだ。
多分、私だけでなく、多くの熱いOL民にとっても。
今休止しているけど、「おっさんずラブ」のレビューの続きは、またいずれ書く。そのうち絶対載せる。
それはなぜなら、放送から4年経ってなお、「おっさんずラブ」が過去のものではないからだ。
私の中ではまだ、続いている。「おっさんずラブ」について語りたいことがまだまだある。
何でだろうなあ。「おっさんずラブ」の何がそんなによかったのか、面と向かって聞かれたら、明確に答えられる自信は、私にはない。
だけど、私にとって、特別な物語であることは確かだ。
私だけでなく、他の人にとってもそうであるらしいことは、ツイッターを見ていれば分かる。
なぜなんでしょうね。
分からんけど、劇場版の後のあのドタバタ劇が、「おっさんずラブ」を「終わらない物語」とするために一役買っているのは間違いない。
モヤモヤが残る出来事であった。このモヤモヤが完全な形で解消されることは、恐らくないだろう。ということは、「心の中にとどまり続ける」ということだ。
今は2022年。
今にしてなお、あれほど夢中になるドラマは現れていないし、これほど忘れられないドラマもない。
特別にして、唯一無二のドラマ。
ということで、放送からは随分時間が経ちましたが、「おっさんずラブが好き!」というブログタイトルを変えることもなく、「おっさんずラブ」のドラマレビューを載せるという形態も変えず、今後も粛々と続けていく所存でございます。
悪しからず。