おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

痛いんです。

 こんばんは。今宵も閲覧いただきありがとうございます。

 さて、記事の更新頻度は一向に増えておりません。

 前の記事に書いた通り、痛いところがあると、どうも文章を練るスイッチがオフになるのです。

 そう、まだ痛みとの闘いは続いております。



 闘い……じゃないか。闘ってない。

 おつきあい、ですかね。

 不本意ながら。



 痛めたのは右のアバラだったんですが、今度は正反対の左アバラが痛くなった。

「右をかばうから、左に無理がきてるんだよ」

とクリニックで言われた。

 人間のバランスってすごいですよね。普段、無意識に色んな部分の筋肉が連動して動いているんだな。それが崩れると、やっぱ負担が増すんだ。

 午後、左側が前触れなく、きゅうっと差し込むように痛くなる。

 息が止まりそうになるのをやり過ごし、顔をしかめないよう取り繕うのが大変。




 まだある。

「ばね指」ちゅーものも発症した。

 左の親指の付け根が痛くて、曲げようとするとがくんっと不随意な動き方になる。

 これも左手の使いすぎなんだって。

 手の指って、どの指も痛めると(こんなに不自由になるのか…)と驚くけど、「左手の親指」て重要度高くないですか? あ、私は右利きなんですけどね。

 左手の親指を封じられると、出来ない動作がたくさんある。ペットボトルの蓋開けるのも、薬の錠剤を指で押し出すのも、急いで着替えててズボンを履く動作とか。雑巾絞るのにも工夫が要る。




 なんかもー、あちこちが痛い。

 私のような軽症でも、これほど後遺症が出て、完治まで時間がかかる。

 事故なんて遭うもんじゃないですね。。。




 こういう、一見すると「悪いことが連続して起こっている」ように見えるとき、例えば「罰が当たった」などと考えることは簡単だけど、危険性を孕む考え方だと思う。

 人間はすべての物事に意味を当てはめたがる生き物だ。その方が事象を捉えやすく、記憶しやすい。人間の脳はそのように出来ている。

 自分の周りに起こった出来事を、自分がもっとも都合がいいように解釈し、当てはめる分にはいいと思う。

 私はこないだの事故を、避けられたのに危険を予測出来なかった自分にも落ち度があると思っているし、(痛い目に遭ったけど勉強になった)とも思っている。

「100日後に死ぬ私」という文章を書いた110日後に事故に遭ったことについて、「言霊が発動したのだ。私があんなタイトルの記事を書かなければ事故に遭わなかったかもしれない」と思うことも出来る。若干オカルトチックな方向に傾くけど、まあ、私が自分で思っている分には他への影響はない。

「いい歳をして軽率な私に対して、守護霊がメッセージを送っているのだ」というような考え方もありますわね。「だから、事故の規模の割に、外傷はなかった。あなたに思い知らせるために乱暴な手段を使ったけれども、基本守ってくれているよい霊のしわざです」くらいのことを言う霊媒師なんかもいそう。

 ことほどさように、身の回りに起こる出来事は、考え方ひとつで、どうとでも解釈が可能なものなんですよね。

 繰り返しになるけど、私が、自分に起こった出来事を、どう捉えようとも、それは別に害がない。言霊の発動だろうが霊の仕業だろうが、私が勝手に信じ込んでいれば済む話。

 ただ、それを他の人に吹聴したりし始めると、また違った話になる。




 でね、こういう考え方って、ホント、都合よくどうとでも当てはめることが出来るじゃないですか。

 一度そういう方向に傾くと、どんどんオカルトチックな考え方に浸食されていくんですよ。

 周りの出来事すべてに意味があると思うのは、自分の行いを振り返ってよりよい方向へ行こうと努力するためにならいいけれども、そうでなく、例えば「高次元の存在からのメッセージ」などと思い過ぎると、とんでもなく独りよがりでエゴイスティックな考え方になる危険性を秘めている。




 学生時代、仲の良い友人がいた。

 その頃の大学は、新興宗教の巣窟でもあって、出自のよく分からないサークル(大抵語学系)がうようよあって、田舎から出てきた世間知らずの若者を取り込もうと、鵜の目鷹の目で狙っていた。

 私の友人はそこに取り込まれてしまったんですね。元から熱中しやすく、真面目で熱心なタチだから、あっという間にのぼせあがってしまった。

 それだけでなく、周りの友人たちにも勧誘の触手を伸ばし始めた。

 私は割と宗教も好き嫌いなく、古事記とか聖書とか読むの好きだったし、新興宗教の教義の胡散臭さにも辟易していたし(有名どころは一通り目を通していた)、私のところに勧誘に来てくれたら舌戦を繰り広げて論破してやる、カモン!!と待ち構えていたんだけど、華麗にスルーされてしまった。

 代わりに、心が優しくてなかなか断れない性格の別の友人が被害に遭っていた。



 その取り込まれてしまった友達、Aちゃんとしよう。

 私も、他の友人たちも、Aちゃんを心配していた。本人は自分のやっていることを正しいと信じていて、「毎日が楽しい。幸せ」と言っているけど、あのサークルやばいよね?というのは公然と囁かれていたし、辞めた方がいいと思うけど、どうにも手段が分からない…と、悩みもした。

 まだオウムとか、幸福の科学とか、そういうのが社会問題になるハシリくらいな時代だったのかなあ。




 そこに、阪神大震災が起こったのです。




 私自身は被災したと言えないレベルだったけど、歩いて10分以内の場所にあった大学の校舎は、向きによっては棚が倒れて片付けが大変だったりしたし、神戸に住んでいた教授が大学まで来れず、授業が出来なかったりもした。神戸に実家があるクラスメイトたちは、半壊の自宅に教科書があって、取り出せないと言って苦労したりしていた。

 大阪も、ガス管が壊れたり、一部断水したり、神戸ほどではなかったけど、無傷とは言えなかった。

 幸いなことに、私の知人友人は全員無事だったけれども、色々大変ではあった。

 それはいい。

 他の友人たちとも連絡を取り合い、お互いの無事を喜びあったりしていたとき、件のAちゃんがこう言った。



「私たち、信仰があったから、全員無事だったの~!」




 あのときの、一瞬で腸が煮えくりかえるというか、脳が沸騰するみたいな気持ちは、今でも忘れられない。

「絶句」とはこのことか、と思った。




 何を言っているのだ。

 潰れた建物の下敷きになって亡くなった人たちは、じゃあ、みんな「信仰がなかったから」「不心得だったから」死んだとでも言うのか。

 いやそれ以前に、あのときは本当に、日々刻々状況が変わっていって、しかも一日経つごとに明らかに絶望度が増していって、ニュースを見るたびにぎゅっと胸が締めつけられるような思いになっていた。

 どの局も震災のニュースしかやってなくて、判明した死者の名前がテロップで流されていて、もしや知り合いの名があるのでは…と恐々としつつも、見ずにはいられなかった。

 その人たちと、助かった自分との間に、何か特別な差異があるかどうかなんて、考えもつかなかった。

 ていうか、あの状況で思うことがそれなの??

 本気でそんなこと言ってるのなら、あんたの信じてるのって神様じゃなくない?





 ……というようなことを、当時の私も思ったはずだ。どこまで口にしたかはもう覚えてないけど、多分、頭に血が上って、何も言えなかったんだと思う。

 エゴイスティックな思い上がりと、膨大な数の犠牲者への壮大なdisりに、吐き気がした。

 Aちゃんとはそれから間もなく友人関係を断った。

 それきり会っていない。





 スピリチュアル系の考え方を一概に否定するものではない。みんな大好きオカルト話も、私だって好きだし、(これは〇〇という神様のお導きだな、うん)みたいな考え方だってよくする。

 ただし、自分に都合のよい解釈であるということは自覚しておかないといけない、と肝に銘じている。

 行き過ぎた意味づけは、意味の反対側で意図せずに誰かを否定することに繋がりかねない。



 

 悪いことが立て続けに起こることだってある。

 震災なんて、天から降ってくる禍いだ。それはある意味平等で、誰の上にも降りかかる。生と死を分けるものは偶然でしかない。

 起こった出来事のカードを、自分本位に並べ替えて、勝手な意味を導きだすのは、愚かなことだ。




 3月11日、色んなメディアで東日本大震災から10年の話題を取り上げている中で、私も色々と思い直したり思い返したりしていた。

 その中で、一度取り上げておきたいと思っていたネタだったので、今回記事にしてみました。




 スピリチュアル系や占いを信じるのはいい。だけど、エンタメとして機能しないのなら、時として有害となるコンテンツだと心得ておかないと、人を傷つける。

 上に書いたような例の他、私がもっとも愚かしい占いとして憎むのが「血液型占い」だ。

 これについても言いたいことがてんこ盛りあるのでまた今度。




 本日は以上!

おっさんずラブ第四話 ①牧の愛情ごはん

 はー、ようやく第四話まで来たー。

 もう早く第四話について語りたくてウズウズしてて、やっと語れる順番が回ってきたんでテンションが超上がってます。

 この感想ブログを始めた頃、「5年経ってもレビュー書いてるかも」とどこかに書いた記憶があるんだけど、今でもう既に2年が経過してますからね。

 でもいいの。「おっさんずラブ」に旬というものは存在しない。

 沼民にとってはいつでも「おっさんずラブ」の季節。




 でね、レビュー書くためにまた何度も何度も繰り返して見てるんですけど、第四話、超面白くないですか…?

 春田の心情が動いて、物語の展開が加速していくので、エピソードがてんこもりで、ドラマの中盤の一話なんだけどまるで映画のよう。

 で、演者の演技が「ノッて」きているように見える。はるたんはより一層はるたんらしく、牧はさらに牧みを増して、武蔵は武蔵、蝶子さんは蝶子さんの持ち味が爆発している。

 脚本と演出と演技、場面を盛り上げる音楽やお弁当の小道具、すべてがかっちりとハマり合い、お互いを引き立て合って、絶妙な調和が取れている。

 どのエピソードを見ても、めちゃくちゃ引き込まれる。全力でときめいて、笑って、かと思えばせつなくなって、シリアスになりかけてまた笑って……

 いやーもーどんだけ面白いの。

 このドラマ、推せる……!!(100万回目)




 冒頭、いつものように朝食を作る牧のエプロン姿が眩しい。

 この日のメニューは、

 

・トースト

トマトスープ

スクランブルエッグ

・ソーセージ

・野菜サラダ

・グレープフルーツ

 

 ですね。牧くんらしい。

 牧はちょっと怒っている。昨日、「なんで武川さんに余計なこと言ったんですか!」と怒気も露わに春田に詰め寄ったばっかりだしね。

 むっつりとしたままスクランブルエッグを作っている。この牧の胸中、どんなものだったんでしょうか。

 まあでも、料理って、なんかモヤモヤすることがあっても、目の前の作業に集中することでリセットできるということもあるから、無心で作っていたのかもね。

 春田の方はと言えば、相変わらず、牧が「春田のためだけに朝食を作ってくれた」ことの有難みを感じる様子もなく、ぼーっとトーストをかじっている。

 春田は春田で、昨夜からの騒動が繰り返し頭をよぎって、忘れられないわけで。




 回想シーン、

「はるたんこと春田創一です」

 とバカ正直に蝶子さんに自己紹介するポンコツぶりが可笑しいですね。笑

「はるたん!?」

と問い直されても、

「はるたんです」

と悲愴な顔で認めちゃってるし。

 春田の腕にぴっとりと蝉のようにしがみつく武蔵。

「意味がよく分かんないだけど…」

と混乱する蝶子さんに、

「不倫!?」

と聞かれて

「イエまだ何も始まってません」

と説明を試みるも、隣から武蔵が

「キミとのことをちゃんとしてから…と思ってる」

と自分目線で余計なこと言うもんだから、その場が余計ややこしくなって、結果収集がつかない。

「卵……買いに行ってきます」

 とりあえず「その場から逃げる」を選択した蝶子さん、振り返ると武蔵はまだ春田にへばりついたままで、視線を逸らす。

「もう少し時間をくれ…」

と頭を下げる武蔵。時間をかけて蝶子さんを説得したところで、その先に自分と何も始まらないことをなんとか伝えたい春田、

「奥様とのことを考え直していただけないでしょうか」

 ここでも丁寧で誠実ですね。それはつまり、夫婦関係の破綻を避ける=自分と黒沢部長はつきあえない、と、春田の中で礼を失しないよう、遠回しに言っているわけだ。武蔵には全然伝わってないけど。

 春田は必死なんだけど、部長に手を取られて手の甲にキスされちゃってるし、なんかもちゃもちゃやってるところを蝶子さんにフ〇イデー風の写真撮られちゃってるし、見ているこちらとしても、ハラハラしつつ、やっぱり笑っちゃって、目と心が忙しい。




(相談しようにも、牧は怒ってるし……)

 ぼんやりと台所に目をやる、春田の視線の先に牧がいる。

 自分が原因で起こっている騒動に対して、どうしたらいいのか分からない。それを、春田は牧に相談したかったんだね。

 困って、ちょっとふくれっつらになっている春田の表情が可愛い。いやーこの顔、写メ撮って牧に送ったら速攻で「春田さんフォルダ」に保存するだろうね…!

 頭を抱えた春田の前に、どん!と音を立てて弁当が置かれる。

「作りすぎちゃったんで、よかったら」

 不愛想にそう言う牧。

(いやいやいや、絶対違うやろ。春田のために作ったやろ…!)

 と内心全力でツッコミつつ、牧の春田へ向ける想いがひしひしと感じられて、(うう、胸が……胸が痛いッ…!)と、さりげないけど視聴者悶絶の場面ですよ。

 驚いて、ぼんやりしつつも、

「ありがとう…」

とちゃんとお礼を言う春田。

「じゃ、先行きます」

 と家を出て行く牧は、相変わらず愛想がなくて、まだケンカモード続行中ぽい。

「行ってらっしゃーい…」

と送り出す挨拶を向ける春田、なんかこのやりとり、めちゃくちゃケンカ中のカップルっぽいというか、パートナー感が感じられる。

 目の前の弁当箱に目をやる春田。

 まだちょっと怒りつつも、自分のために弁当を作ってくれたということが、ここで若干春田の中に「染みた」のかもしれない。




 春田の中で、牧と一緒にいる日常が当たり前になってきている。

 牧の存在が大きくなり始めている。

 そんな心情が暗示されるオープニングでした。




 で、そのお弁当の中身はと言えば、

 

・ごはん

・ミートボール

・卵焼き

・ウインナー

・ホウレン草とコーンのバター炒め

・にんじんと大根の煮物

ブロッコリー

・プチトマト

 

 いやもうなんですかこの完璧なお弁当は。

 春田が好きそうな(つまり子供が喜びそうな)おかずで、ちゃんと彩りと栄養バランスが考えられている。

 愛……!!

 30代の男性にしてはちょーっと量が足りないのでは…?と放送時思ったんだけど、公式本で春田も「実は少し足りない」と言ってたから、折り込み済みだったんですね!

 春田はお酒も飲むし、ポテチなんかも好きだから、メタボ回避のためにカロリーコントロールしてるのかも。




おっさんずラブ」に登場する料理は、どれもこれも手が込んでいて美味しそうだ。

 画面に映る時間はほんのちょっとなのに、鮮烈な印象を視聴者に残す。

 牧凌太という人物の心情も映しているし、誠実な人柄、丁寧で几帳面な性質、育ってきた家庭環境までも、見る側に想像させる。

 第四話は、後半でも牧の料理が効いている場面がある。

 フードコーディネーター赤沼さんの面目躍如の回でもありますね。




 続く!

4週間の日にち薬

 さて、事故からちょうど4週間が経ちました。

 

 

 私を診てくれたドクターは、

「大体みんな最低4週間はかかる」

と言った。痛みが取れるまでのおおよその時間ね。

 折れてないし、ヒビも入ってないし、痛いだけだから、じゃあもう少し早く治るかも、と思っていた。

 最初歩くだけで激痛が走って般若の形相になっていたのが、1週間経つと痛いながら動けるようになり、2週間経つとかなりマシになり、少しずつ少しずつよくなっていっているのが自分でも分かった。

 でも3週間めに突入しても痛みが完全に取れるということはなく、固定バンドと痛み止めが欠かせない状態で、(これあとちょっとでホントに治るのかな…)と先を危ぶむ気持ちが生まれていた。

 ヘタするとあと2週間くらいかかるかもしれん、やっぱもう若くないから回復も遅いんだな……と、やけっぱちとか凹むとかではないんですが、まあしゃーないな、とそういう思いでした。

 

 

 ところが、昨日の朝。

 起きると毎回、(ああ、今日もやっぱり痛い)と感じていたのが、痛くなかった。

(あれ? 痛くない?)

 てなって、痛み止めもバンドもなしに過ごせた。

 で、今日は普通に出勤の日。運動量が多い仕事なので、やはり念のため痛み止めを飲み、湿布も固定バンドもしていったけども、大丈夫だった。

 午後、昼食後に必ず飲んでいた痛み止めをやめてみたら、それもいけた。

 

 

「4週間」というのはホントでした。

 お医者さんてすげーな。

 

 

 というわけで、お陰様でなんとか回復したようです。

 2月、もちろん痛いので物理的にも困ったんですが、意外なところに支障が出たのが、

(ブログの文章が書けない)

ということでした。

 書くネタはあるんだ。「書くことがない」という状態に陥ったことは、今まで生きてきて一度もないんだけど、そうじゃなく、文章としてアウトプットすることが出来ない、という事態に見舞われた。

 事故に遭った、しかも轢き逃げ事故なので、言いたいことは山ほどある。あるけど、例えば

「車は走る凶器なのにそれを心得ていない人が多すぎる」

というのは前々からずっと思っていたことで、大いに主張したいところなのは確か。

 だけど、その、私の意見をそのまんま書くのはイヤなの。つまんないから。

 文章を書く人には分かってもらえると思うんだけど、文章書きにとっては、「文章を書く」「文章を読む」どちらもエンタメに属する行為なわけです。

 自分で楽しいと思いながら書きたいし、それを読むときにも読む人に喜んでもらいたい。自分でも読み返してもう一度楽しみたい。

 料理人が大根をまるたのまま土つきで客前に出したくないのと同じで、自分の意見を何の手も加えずに書くのは、わざわざ開示する必要はないわけで。それは日記で十分だ。

「車は凶器だと心得ていないドライバーが多い」

という素材を、読んで面白い形に加工するというのが、つまりは大根を切って隠し包丁を入れて面取りして出汁で煮て……という「料理」に相当するんだと思う。

 で、その、「料理する」工程が出来にくくなったんですね。

 いや、まあ、普段からそんな大した文章書いてないですけども。

 

 

 これは前にもあったことで、どうも私は、怪我をして痛みと闘っているときには、エネルギーがそっちに行ってしまって、文章を練ったりすることが出来なくなるらしい。

 病気は平気なんだけどな。前インフルで38℃以上高熱出してたときもブログ更新してたし。

 なんか、私の脳内がどういう回路になっているのかは知らんが、「怪我を治す」のと「文章を書く」のは両立しないみたい。

 不思議だ。

 

 

 1月は20本以上記事を更新しているのに、2月はたった7本。少ねぇ!

 

 

 3月はがしがし更新……したいところだけど、今度は仕事がちょっとエライことになってて、先の見通しが立たない。

 身体もね、普通の生活が送れるくらいには回復したんだけど、まだ走ったり跳ねたりすることは出来ない。マシンを使ったワークアウトも厳しい。

 うー走りたい。跳ねたい。汗だくになってバーピージャンプしまくりたい。

 私は身体を動かすのが好きだったんだな、と改めて実感しております。

 

 

 まあでも、いつか必ず完治するので、ここはじっと我慢の子で、無理せず参ります。

 治ったら死ぬほどHIITで汗流してやる。

 

 

 

辛口日記 20210225

 「日にち薬」とはよく言ったもので、日一日と経つごとに、確実によくなっている。

 ただ、一日分しかよくならない。

 栄養バランスに気をつけて食事しているけど、火傷のときみたいに目に見えて変化があるわけじゃない。

 痛み止めを飲み、湿布して固定をしていれば、もうかなり普通に動けるようになってはきたけれど、それらがないとやっぱり痛い。



 身体をハードに動かすことが出来ないのが地味に辛い。

(あー腹筋してぇ! がしがしバーピーやりてぇぇ!!)

 と、突然突き上げるような欲求に駆られることがある。

 まあそれもここ数日のことで、つまりはその分身体が回復してきているということだろう。

 本当に悪い部分があると、身体というものはエネルギーを回復に向けるらしく、余計な運動をしようという気にならなかったから。



 全治4週間の診断だった。今3週間が過ぎたところ。

 あと1週間で全快するのかなあ。この痛みがあと7日分だと思うと、じっと我慢も出来るんだけど。

 

 

 こういうイライラを癒すのに、ドラマやバラエティは有効だ。

 が、今季のドラマ、テレビつけててたまたま見たりすることもあるけど、なんか見たことある展開ばっか。




 ファッション誌の上司は大体アナ・ウィンター的なボスで、その雑誌は大体廃刊か統合の危機に晒されていて、上司の上司は大体ユースケ・サンタマリア

 上白石萌音ちゃん、私は好きな女優さんだけど、「恋つづ」とまったく同じキャラに見えるのは気のせいか。

 あと、終バスを逃して慌てて探した宿で空いてるのが一部屋のみという展開も、あともう一押しのBLだけにして欲しい。



 学園物もこれぞテンプレというストーリー展開。

 高校の生徒は9割がたクソで、大金持ちの家庭崩壊した家の子は生徒内ヒエラルキーの上位で、SNSの犯罪なんかもあって、そこに学校外の価値観を持った教師が登場し、クソみたいな生徒をがつんと懲らしめる。

 でその教師の恋人が昔学校内の事件で亡くなってたりして、その恨みを抱いてやってきたのが主人公。

 でいい感じのポジションにいるのが大体山田裕貴

 NHKの「ここは今から倫理です」は予想外に面白かったけれども。



 昔の日本からタイムスリップしてきたキャラが、令和の現代で主人公と恋に落ちて……というのももうお腹いっぱいかな。




 あーあとスマホのコミックの広告が、手を変え品を変えつつ99%が異世界転生ものなのも気持ちワルイ。

 しかも舞台が中世ヨーロッパのはずなのに、衣装だけゴージャスで、言葉遣いに時代考証もクソもない。

 なんでああ一斉におんなじコンセプトの作品作るんだか。




 真似っこはキライ。

 クリエイターなら「他に見たことがない」「唯一無二」のもの作らんかい。

 



 しかしこの国では「他の人と同じ」ことで安心する人が多いみたい。

 SNSでも掲示板でもYouTubeのコメント欄でも、よく見るのが

「同じ人いますか?」

の問いかけ。

 これが分からん。自分と同じ人を探してどうしようと言うのだ。

 自分と同じ感性の人は自分一人で十分じゃないか。

 自分と違う人を見つけてこそ面白いと思うんだけど。




 最後に一言。

 座長、そろそろ仕事選んでください。




 本日は以上!

おっさんずラブ第三話⑭ 黒澤武蔵55歳「本当の俺を知ってほしい」

「わんだほう」の扉をガラガラっと開けて春田、

「ちょっと聞いてよ~!」

 この甘えた言い方がもう「THE・春田」。ダメなんだけど可愛らしい。

 鉄平兄やちずとのやり取り、春田のテリトリーに侵入してきた新参者のマロ、ちょこちょこ差しはさまれるわんだほうパート、いいですよね。

「俺のテリトリー荒らすなよ…」

とボヤかれても意に介さず、ちずにぐいぐいいくマロの新人類っぷりが面白い。「新人類」ってもう死語か。笑

 



 一方で、夫・武蔵がシャワーを浴びている隙に「ハルカ」の影を見つけ出そうとする家庭内探偵・蝶子のパート。

 これまた絶妙にコミカルで、蝶子さんという人のおかしみが出ていて好き。

 しっかりしているんだけど、おっちょこちょいなところや早とちりな部分もあり。

 メガネをくんくん嗅いで「くさっ!」とのけぞったり、レシートを並べてスマホで写メ撮ろうとして反転で自分が写って「わあっ!」と驚いたり、いちいち笑えます。

 大塚寧々、前から結構好きな女優さんだったんだけど、「おっさんずラブ」ではコメディエンヌとして存分に存在感を放っていて、評価がさらに上がったと思う。

 なんでここで武蔵がシャワーを浴びているのかと言えば、

(あ、ヒロインだからかな)

と私はすっと納得したんだけども、シナリオブックには「滝行のように」とあり、なんか私が思ってたのとは違ったのかもしれない。

「シャワーを浴びるヒロイン」=「ドラえもんにおけるしずかちゃんのポジション」というのは昭和生まれBBAの偏った見方なのかもしれぬ。

 いやーだって武蔵なんだか胸んとこ押さえてるしさあ(劇場版でもそうでしたね)、ヒロインっぽいじゃん?

 え? 違う?




 コメディパートらしく、場面があっちやこっちへ行きつ戻りつで、適度に散らかった感じが面白いんだけども、ラスト、アゼリアでの場面はおかしくもしんみり、しっとりした印象的なシーンでした。

「あの人やっぱり不倫してた…!」

と呼び出したはるたんに打ち明けちゃう蝶子さん。

 その「はるたん」とやらがそんなに好きなら、自分は身を引いた方が……と口にする場面、せつない。

 本当に相手のことを思うのなら、相手の幸せを第一に考えて、こういう結論になってしまいますよね。

 それを、なんとか止めようとする春田。

「奥さまのその気持ちを部長に伝えた方がいいと思います!」

 と春田も必死だ。

 春田の立場としては、もちろん部長夫妻に盤石でいてもらった方が一番まるく納まるのだけれど、春田と言う人の性格的に、ここはそういう自分のための計算とかはないんだろうな、と思える。

 ただただ、目の前にいる蝶子さんの心の痛みを感じて、シンクロしながら、蝶子さんの幸せを考えちゃったんだと思う。

 だから、

「キミってホントにお人好しね」

と言われて、

「俺は……俺はいい人なんかじゃないんです…!」

と泣きだしちゃう。

 泣き虫なところもはるたんの愛嬌のひとつなんだけど、まあそれにしてもよく泣く主人公だね!笑




 そこへ飛び込んでくる武蔵。

 私、これまでもちょいちょい武蔵のことをディスってますけど、ここでもホンマ(いい気なおっさんやな~)と思いました。

 涙顔の蝶子さんを見て

「泣いてるじゃないか。なんかしたのか!?」

と春田を問い詰めるのは、妻を守ろうとする夫としては合格点なのかもしれないけど、

(いやいや泣かせてるのはアンタやがな)

と全力でツッコんでしまう。

 まあ多分この場面、お茶の間でリアタイしていた全国の視聴者の9割がツッコんでいたでしょうな。

「いやあの俺は違います」

 と否定するのもろくに聞いてもらえないばかりか、

「あなたに言いたいことがあるの」

「俺もだ」

と夫婦の対峙に挟まれて、落ち着きなく二人を見る春田が可哀そうで、でもこれぞ巻き込まれ型超受け身主人公・春田の真骨頂なので、(可哀そう)と同情する奥できゅんっと小さく胸が鳴る。笑




 ここ、見る人の立場によって、誰寄りで鑑賞するかが大いに分かれる場面だと思う。

 私は最初から、

「本当の自分を知って欲しい」

という武蔵の台詞が引っかかって仕方なかった。

 だって、夫婦だからって、お互い腹の底すべて見せあえばいいかと言えば、そんなわけないじゃないですか。

 隠し事は少ない方がいいし、素を見せられる方が楽に暮らせるのは確かだけど、偽っているのとはまた違って、「自分のよいところを相手側に向ける」のは、当然だと思うからだ。

 身内には思ったことを何でも言っていいと思っている人がいるけど、それは違う。身内だからこそ、最大限の気遣いをするべきで、何かを言うときにはやはり言葉を選んだ方がいい。その気遣いをめんどくさがって、ぽーんと頭に浮かんだまま相手に投げつけるのは、単なる怠惰だし、愛のない行為だと私は思う。

 武蔵が言う「本当の自分」とはつまり、「同性の部下を好きになってしまった自分」「10年以上の思いに耐えきれなくなって告白してしまった自分」のことを指すのだろう。

 蝶子さんにすれば、(えええー30年夫婦としてやってきた挙句そんな告白されても…)というところだ。




 ただ、ね、武蔵って「おっさん」じゃないですか。タイトルにもなっている通り。

「おじさん」って、しばしば女性や若者その他の弱者を差別する側として物語に登場するけれども、一方で、「おじさん」こそ差別される側だという見方もある。

「女だから」とか「女のクセに」という決めつけや蔑みは、今日ではかなり払拭されてきた感があるけど、「男だから」とか「男のクセに」という風潮は、まだまだ現役という気がする。チェリまほで酒に弱い安達に「飲みなさい。男でしょ」と胸糞社長も言っていた。

 男性って、社会的に強者であることが多いけれども、色んな場面で「強くあって当然」と見なされるんですよね。

 それを描いて秀逸だったのが、逃げ恥の新春スペシャルだった。奥さんであるみくりのつわりが酷く、家庭内のことがすべて平匡さんの肩にかかって、仕事は仕事で大変。やっとみくりのつわりが終わり、

「大変でしたね、平匡さん」

とみくりに労わられて、平匡さんがぽろりと涙をこぼす。

「でもみくりさんの方が大変だし…」

「大変に順番をつけなくていいんです。大変じゃなかったわけないじゃないですか」

 この労わり合いが美しい場面でしたが、やっぱりね、30を過ぎた「イイ大人の男性」が、妻のつわりで大変で……とか、なかなか気軽にこぼせない雰囲気だと思うんですよ。社会全体が。

 武蔵が春田にときめいてしまったとき、そしてその後もドキドキがおさまらず、(これは恋かもしれない)と自覚せざるを得なかったとき、誰かに相談できたかどうか?

 まあ、このラブコメで武蔵のキャラは陽として描かれていて、あんまりその辺深刻に悩んだ描写は出てこないんだけども、(相談をしたくても出来なかったんじゃないかな)くらいの見当はつく。

 他のことなら一番の相談相手であるはずの妻にも言えない。もちろん当の相手である春田にも言えない。

 じっと心に秘めておくしかなかったわけだ。



 私見ですが、女性に比べて男性の方が、ハートが繊細というか、打たれ弱い人が多いような気がします。

 もしかするとそれは、元々の脳がそうなっているとか、そういうことではなく、何か苦手なこと、辛いことが立ちはだかったときに、「辛い」「助けて」と訴えることが許される空気でなかったことが原因なのかもしれない。

「男だから出来るだろう」と見なされてしまう。それを感じて、本人もプライドがあるから、「出来ない。助けてほしい」と言えない。

 そういう負荷が少しずつ積み重なっていって、どーんと決壊する、みたいなことになるのかも。




 まあそんな武蔵のあったかもしれない苦悩に思いを馳せるのも一瞬のことで、テンポよく進んでいく台詞の応酬であっという間に流されちゃうんですけどね!

 蝶子さんに本当のことを言うぞ!と決意した武蔵にとっては、

「ハルカじゃない。『はるたん』だ」

 とここは譲れないポイントだったんだろうけど、

「どうでもいいわよ!!」

と一蹴される場面、何度見ても笑う。

 で、ここから、監督が「君の名は。」というタイトルを使いたくて作ったというラストまで、どの台詞もどの表情も秀逸で、台詞と台詞の間の「間」も全てが効いている。

「君の名は……?」

「……はるたんです…」

と答える春田の律儀さよ。笑




 徹頭徹尾受け身である主人公・春田は、第4話から変化を見せ始めるので、「THE受け身」の春田としては、この第三話のラストが一番笑えるかも。

「あのワタクシもう帰ります」

とその場を去ろうとしたのに、「いろ」と引き止められ、引っぱられて、ソファにどーんと転がされる。

 最後の武蔵の告白前にも、緊張に耐えられなくなった春田、「サラダバーに…」と逃げようとするのを引っつかまれ、肩を抱かれて「彼なんだ」と暴露されてしまう。

 リアタイ時も爆笑しながら見ていたけど、色々裏話を聞いた今では、(あーもう鋼太郎さんtkb! tkb狙わないの!)と別の部分も気になってしまって、一粒で二度美味しい仕上がりになっております。

 



 第三話のレビューはこれにて!

ミステリと言う勿れ

 表題の漫画、無類に面白い。

 久しぶりに、夢中になって読んでます。



 著者の田村由美、もちろん名前は知っている。「BASARA」で有名な漫画家さんですよね。アレ、熱病のように流行っていた記憶がある。めちゃくちゃ面白いらしい!と評判は聞いていたけれども、私はなんとなく興味が向かなくて読まなかった。いまだに読んでいない。

 戦国ものって、シリアスな展開が多くて、人が死んだりとか割と普通にしちゃうじゃないですか。私はキャラに入れ込んで読んじゃうので、そういうストーリーは面白いんだけど心の負荷も高い。つまりはしんどいんですよね。

 親の仇と知らずに敵と出逢って惹かれ合うとかさあ、もう読む前から鬱展開が見えてしまって、ラストはハッピーエンドだとしても、そこに辿り着くまでのストレスに耐える自信が持てない。

 あとは「歴史的伝奇ロマン」という分野には些かの不信感があるというか。まあこれは田村由美先生には全然非がなく、まっさらの子供時分に夢中になって読んだ「王家の紋章」あたりの罪が重いと言えよう。

 何度でも言うが、大風呂敷を拡げるだけ拡げて回収できない作家はそれだけで有罪だ。

 登録しているコミックサイトで「この作品は完結しました」という文字を見ると、それだけでスカッと爽やかに感じるもん。

 某演劇漫画は一体全体「了」の文字を見る日が来るんですかね。作者はもう何十年も前に「ラストは決まっている」と吹聴していたけれども。

 アレが駄作ならまだ救いがあったものを、あそこまで面白いクォリティの高い漫画を書いて世に出しておきながら「終われない」なんて、クリエイターとして最も罪が深いと私は思う。

 



 閑話休題

 今まで著者の作品を読んだことがなかったのに、ふと(読んでみよう)という気になったのは、タイトルにミステリ好きの血が反応したからだ。

 いやもう、第一話で持っていかれました。

 主人公は久能整。「整」と書いて「ととのう」と読む。親は一体どんな思いでこの名前をつけたのか、多分後半で出てくるんでしょうね。名前同様、本人もかなりユニークなキャラ。

 まずはいきなり事件の容疑者として警察に連れていかれる。第一話の舞台は取調室。そこからほぼ出ることなく、会話劇で物語は進む。

「いついつの夜はどこにいた?」

「家にいました」

「証明してくれる人は?」

「僕一人です」

 お決まりのやり取り。警察は「お前がやったんだろう」と頭ごなしに決めつける。「目撃者がお前を見ているんだ」と。

 テレビドラマの刑事ものだと、ここで容疑者が慌てふためき、

「ボク……ボクやってません!」

 と激昂するところだが、本作の主人公久能くんは頭脳派だ。

「あなたたちはその目撃者をよく知っているんですか?」

と質問し返す。

「知っているわけないだろう」

「じゃあ、僕と同じですよね。同じようによく知らない人間なのに、その人の言葉は信じて、僕の言葉は嘘だと決めつけるんですか? その根拠は何ですか」

 冷静に切り返す。

 久能くん、自分を取り調べる刑事たちの様子もよく観察していて、漏れ聞いた会話からその人物の家庭における立場や家族像を分析し、プロファイリングをしてみせる。

 反抗期の娘さんに手を焼く中年刑事は、

「育て間違えたんじゃない。娘さんは正しく成長しているんです。それを寂しく感じるということは、あなたがこれまでちゃんと娘さんに向き合ってきた証拠です」

 と言われて、救われるし、妊娠中の妻とケンカした新婚の刑事は

「ゴミ出しって、家じゅうのゴミを集めるところから始まるんです。分別して、ゴミ袋にまとめて、そこまでしてくれたのをゴミ捨て場に持って行くだけで『ゴミ出しは俺がやってる』とドヤ顔されても、奥さん身体がしんどいんじゃないですか」

と指摘され、初めて家にいくつゴミ箱があって、ゴミ袋の補充も必要であることに気づく。 何かと軽い扱いを受けている女性刑事は、

「僕はあなたを舐めていません。あなたが舐められないよう気をつけるべきは、この職場のおじさんたちです」

「混ざれなくて悩んでいるとしたら、それは間違いです。違う生き物としてあなたの存在は有意義なんです。そのままでいてください」

と言われて、仕事に対する矜持を持つようになる。




 この調子で、自分がなぜ全然関りのない殺人事件の容疑者にされているのかを考え、分析し、「事実」をあぶり出していく過程がめちゃくちゃエキサイティング。

 第一話で彼がするのは、「座って話をする」ただそれだけだ。

 それでいて、真実にぐいぐい近づいていく。

安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)」という言葉がミステリ界にはあって、これぞ真の探偵と言うべき称号なんだけど、久能くんは大学生にしてこの言葉にふさわしい活躍を見せる。

 スパイが敵のアジトに潜入とか、カーチェイスとか、時限爆弾とか、そういうのもエンタメとして楽しめるんだけど、真のミステリ好きは

「ただただ言葉だけで相手の真実を暴く」

 この展開こそが大好物だ。

 警察という国家権力を相手に一歩も引かず、丁々発止のやり取りが火花を散らす。

 彼を陥れようとした張本人を遂には暴き出すんだけれども、真犯人が分かってなお、プロファイリングは進む。




「BASARA」を書いた同じ作者が、こんな味わいのミステリ作品を書くとは、まったくトップクリエイターの頭の中ってどうなってんでしょうね。

「ミステリと言う勿れ」というアンビバレントなタイトルではありますが、いやいやミステリ好きなら一度読んで損はなし。

 面白いので是非読んでみてください。

人は経験から何を学ぶのか

 こないだ免許更新に行ってきた。

 優良運転者講習なので、作業自体はごくごく簡便、今はコロナのこともあり、密を避けてさささーっと必要最低限の項数だけ済ませた感じ。

 轢き逃げの被害者が優良運転者の免許更新というのも、なんか妙なもんだな…と思いつつ、おきまりの映像を見ていました。



 あれ、結構真剣に見るんですよね。私。

 いや、それは多分私に限った話ではなく、普通に良心のある人ならちゃんと見るんだと思う。車は走る凶器で、生身の人間にぶつかればあっけなく命を奪うことが出来る。わざわざそんな映像を見るまでもなく、痛ましい事故は残念ながら年に何度も起こっている。




 奇遇にも、というか、今まさに自分が当事者なので、先日の事故についてもつらつら思い返していた。

 通勤路なので現場を何度も通る。何度確認しても、あんな場所で前触れなく方角を変えるとか、正気の沙汰ではない。加害者は車を運転する資格がないと私は思う。

 が、それはともかくとして、現実問題、ルールを無視する人間が乗った車が一台あるだけで、巻き込まれた方はアッサリ被害を受けてしまう。逃れるすべはない。

 あのぶつかり方、あの倒れ方と転がり方、外傷はなく、骨にも異常なく、打ち身だけで済んだのは本当に奇跡的だった。



(……というか、)

と私は考えた。

(救急車で運ばれてもおかしくなかったとかそんなレベルでなく、マジで死んでたかもしれんな)

 2020年の交通事故の死者数は2839人。1日に平均して8人の人が亡くなった計算になる。

これでも前年度に比べたら減少したのだそうな。

 統計から言っても、事故の規模から考えても、私があそこで命を落とすというのは全然アリだった。




 水瓶座は運がいいというのは本当か?と、嘆く記事を書いたけど、ものは考えようで、

「死んでいてもおかしくなかったのにほぼ無傷だった」

となれば、めちゃくちゃラッキーな話なわけだ。

(というか、)

とさらに私は考えた。

(死んでいたはずの命を拾ったと思えば、物事の捉え方が変わってくるよな)

 ちなみにこれは全部お風呂場で考えたことなんですけどね。

 私はどうも、お風呂に入っているときに考え事が捗る。散文的にぼーっと考えているだけのこともあれば、やけに哲学的になったりもする。



 そんで、何かをぼんやりと思い出した。

(………あれ、なんか、前予言するような記事を書いたような記憶が……)

 

 これだった。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com




 私が事故に遭ったのは、この記事を書いてから110日めの出来事だった。




 さてそこで、ですよ。

 もしもこれがね、ドンピシャで100日後だったら、ぞわ~っと鳥肌が立ってきゃあきゃあ騒いでもいいかもしれない。

 110日後って微妙ですよね。合ってるような合ってないような。

「いやもうこれは当たってると言ってもいいでしょう!」

と断じて、「未来を予言した!」と思い込むのもアリかもしれん。

 私も、超常現象とか不思議な話とかそこそこ好きだから、100日ピタリ賞だったら面白かったのに、と思う気持ちはある。




 実は、この記事を書いて載せた後に、(ホントになったらイヤだな)とは思っていた。

「言霊」はあると思っているので、この記事の後、「100日後に死なない」あるいは「101日後に〇〇する」的な打消しの記事を載せようかと思った。

 でも、ハマる内容を思いつかなかったのと、(……それもダサいか)と考えて、書かなかった。

 そういう経緯はあったのです。




「たまたま交通事故に遭遇して被害者になった」というのは、恐らく人を選ばず、誰にでも起こりうる事態だと思う。

 ただ、その出来事から何を感じ、どう受け取るかというところに、その人の個性が出るんだな。

 オカルト寄りの感性なら、この偶然を「予言だ!」と捉えて、運命を感じたりするのかもしれん。

 スピリチュアル系が好きな人なら、(強力な守護霊に守られている…)と感じて、何を措いても先祖供養をせんければ!と力むのかもしれない。




 私はどうかと言えば、まあもしかすると言霊が発動したのかな…くらいには思うし、誰かご先祖の霊が守ってくれたのかもしれん、とも思うが、

「今後に生かそう」

という気持ちの方が強い。

 この先も何かで身体が不自由になることはあり得る。いや、「ある」と思っとくぐらいでいい。

 日常的に痛みを抱えて生きている人は大勢いる。普段どこも何ともない健康体だと、なかなかそういう人たちの不自由さとか心情に心を寄せることは難しいが、自分が同じ立場になると、よく分かる。

 何十年後かの自分の未来と捉えることも出来る。歳をとれば誰しも、身体に不具合のひとつやふたつ出てくるだろう。

 脳梗塞で右半身に麻痺が出ることだってあるだろうし。

 というわけで、

「左手を鍛えよう」

 という課題が一つ出来ました。

 必要に迫られればやるだろうけどね。

 慣れておくにこしたことはないかもしれない。




 あと、他にも色々、身体が不自由になって初めて(ここはこうした方がいい!)と思うことが多々あったんですが、発信の方法を考えようと思っております。

 誰かの経験や意見が広く拡散する可能性もあるのがSNS時代のよさ。

 どうせなら、分かりやすく受け取りやすい発信の仕方をした方がいい。




 事故からこのかた、書いていない部分でも色々と、私自身の行動に変容が起きました。

 今まで「習慣だから」と何も考えずにやっていたことが出来なくなって、ひとつひとつチェックして、要らないものはやめて……って、断捨離みたいやな。でもそうかも。「行動断捨離」。

 もちろん交通事故なんか遭わない方がいいに決まってるし、痛いし、大変なんだけれども、これまでの自分を見直すいい機会になっているのも確か。

「ピンチはチャンス」って、なんかオヤジが部下の結婚式のスピーチで言いそうな言葉だけど、ホントだな…と噛みしめております。