おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

人は経験から何を学ぶのか

 こないだ免許更新に行ってきた。

 優良運転者講習なので、作業自体はごくごく簡便、今はコロナのこともあり、密を避けてさささーっと必要最低限の項数だけ済ませた感じ。

 轢き逃げの被害者が優良運転者の免許更新というのも、なんか妙なもんだな…と思いつつ、おきまりの映像を見ていました。



 あれ、結構真剣に見るんですよね。私。

 いや、それは多分私に限った話ではなく、普通に良心のある人ならちゃんと見るんだと思う。車は走る凶器で、生身の人間にぶつかればあっけなく命を奪うことが出来る。わざわざそんな映像を見るまでもなく、痛ましい事故は残念ながら年に何度も起こっている。




 奇遇にも、というか、今まさに自分が当事者なので、先日の事故についてもつらつら思い返していた。

 通勤路なので現場を何度も通る。何度確認しても、あんな場所で前触れなく方角を変えるとか、正気の沙汰ではない。加害者は車を運転する資格がないと私は思う。

 が、それはともかくとして、現実問題、ルールを無視する人間が乗った車が一台あるだけで、巻き込まれた方はアッサリ被害を受けてしまう。逃れるすべはない。

 あのぶつかり方、あの倒れ方と転がり方、外傷はなく、骨にも異常なく、打ち身だけで済んだのは本当に奇跡的だった。



(……というか、)

と私は考えた。

(救急車で運ばれてもおかしくなかったとかそんなレベルでなく、マジで死んでたかもしれんな)

 2020年の交通事故の死者数は2839人。1日に平均して8人の人が亡くなった計算になる。

これでも前年度に比べたら減少したのだそうな。

 統計から言っても、事故の規模から考えても、私があそこで命を落とすというのは全然アリだった。




 水瓶座は運がいいというのは本当か?と、嘆く記事を書いたけど、ものは考えようで、

「死んでいてもおかしくなかったのにほぼ無傷だった」

となれば、めちゃくちゃラッキーな話なわけだ。

(というか、)

とさらに私は考えた。

(死んでいたはずの命を拾ったと思えば、物事の捉え方が変わってくるよな)

 ちなみにこれは全部お風呂場で考えたことなんですけどね。

 私はどうも、お風呂に入っているときに考え事が捗る。散文的にぼーっと考えているだけのこともあれば、やけに哲学的になったりもする。



 そんで、何かをぼんやりと思い出した。

(………あれ、なんか、前予言するような記事を書いたような記憶が……)

 

 これだった。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com




 私が事故に遭ったのは、この記事を書いてから110日めの出来事だった。




 さてそこで、ですよ。

 もしもこれがね、ドンピシャで100日後だったら、ぞわ~っと鳥肌が立ってきゃあきゃあ騒いでもいいかもしれない。

 110日後って微妙ですよね。合ってるような合ってないような。

「いやもうこれは当たってると言ってもいいでしょう!」

と断じて、「未来を予言した!」と思い込むのもアリかもしれん。

 私も、超常現象とか不思議な話とかそこそこ好きだから、100日ピタリ賞だったら面白かったのに、と思う気持ちはある。




 実は、この記事を書いて載せた後に、(ホントになったらイヤだな)とは思っていた。

「言霊」はあると思っているので、この記事の後、「100日後に死なない」あるいは「101日後に〇〇する」的な打消しの記事を載せようかと思った。

 でも、ハマる内容を思いつかなかったのと、(……それもダサいか)と考えて、書かなかった。

 そういう経緯はあったのです。




「たまたま交通事故に遭遇して被害者になった」というのは、恐らく人を選ばず、誰にでも起こりうる事態だと思う。

 ただ、その出来事から何を感じ、どう受け取るかというところに、その人の個性が出るんだな。

 オカルト寄りの感性なら、この偶然を「予言だ!」と捉えて、運命を感じたりするのかもしれん。

 スピリチュアル系が好きな人なら、(強力な守護霊に守られている…)と感じて、何を措いても先祖供養をせんければ!と力むのかもしれない。




 私はどうかと言えば、まあもしかすると言霊が発動したのかな…くらいには思うし、誰かご先祖の霊が守ってくれたのかもしれん、とも思うが、

「今後に生かそう」

という気持ちの方が強い。

 この先も何かで身体が不自由になることはあり得る。いや、「ある」と思っとくぐらいでいい。

 日常的に痛みを抱えて生きている人は大勢いる。普段どこも何ともない健康体だと、なかなかそういう人たちの不自由さとか心情に心を寄せることは難しいが、自分が同じ立場になると、よく分かる。

 何十年後かの自分の未来と捉えることも出来る。歳をとれば誰しも、身体に不具合のひとつやふたつ出てくるだろう。

 脳梗塞で右半身に麻痺が出ることだってあるだろうし。

 というわけで、

「左手を鍛えよう」

 という課題が一つ出来ました。

 必要に迫られればやるだろうけどね。

 慣れておくにこしたことはないかもしれない。




 あと、他にも色々、身体が不自由になって初めて(ここはこうした方がいい!)と思うことが多々あったんですが、発信の方法を考えようと思っております。

 誰かの経験や意見が広く拡散する可能性もあるのがSNS時代のよさ。

 どうせなら、分かりやすく受け取りやすい発信の仕方をした方がいい。




 事故からこのかた、書いていない部分でも色々と、私自身の行動に変容が起きました。

 今まで「習慣だから」と何も考えずにやっていたことが出来なくなって、ひとつひとつチェックして、要らないものはやめて……って、断捨離みたいやな。でもそうかも。「行動断捨離」。

 もちろん交通事故なんか遭わない方がいいに決まってるし、痛いし、大変なんだけれども、これまでの自分を見直すいい機会になっているのも確か。

「ピンチはチャンス」って、なんかオヤジが部下の結婚式のスピーチで言いそうな言葉だけど、ホントだな…と噛みしめております。