おっさんずラブが好き!

ドラマ「おっさんずラブ」の細かすぎるレビューブログ。OLの深い沼にハマって当分正気に戻れません。ほぼおっさんずラブの話題しかないかもしれない。ネタはバレまくりなのでご注意を。

妄想ノススメ

 帰ってきましたー。

 実家で思う存分骨休めした後ですが、やっぱ自分ちってまた別の安心感がありますね。

 阪神高速から、梅田辺りのビル群の夜景が目に入ると、毎度(あー生活圏に戻ってきたー)という感慨があります。

 

 

 3日の夜とて、やはり途中渋滞に巻き込まれました。

 まあそれは仕方ない。もう20年以上、実家と阪神を行き来していて、もっと酷い渋滞もなんぼでも経験ある。

 今は何しろスマホがあるから、時間を潰すのに困ることはない。SNS覗いたり、自分のブログ見たり、でもほぼ音楽聴いてるかな。

 便利な時代よのう。

 

 

 ところで、帰りのバスは2号車だったんですね。高速バスの1号車と2号車は全然違う。1号車だと、高速移動に適した広々ゆったりシート、隣席と触れ合うことはなく、自分一人の空間を快適に過ごすことが出来る。今なんか、全シートにスマホ&パソコンを充電出来るUSB接続端子装備だ。トイレはもちろんついている。

 これが2号車となると、利用者が多いときの臨時増便だから、普段は観光用の車両が回されるんですね。隣とはぎちぎち(体格のよい人と当たるとかなりストレス…)、リクライニングもかなり気を遣う(ので大概使わない)、トイレはついておらず、充電も出来ない。

 これも、慣れていると言えば慣れている。窮屈な思いもほんの5~6時間我慢すれば済む話。

 が今回、隣のおばお姉さまが、何だかやけにため息をつく人だった。

 

 何の憂いがあるのか、20分に一度、

「はあぁぁ…」

とでっかいため息をつく。

 そんなつもりはないんだろうけど、これ見よがしにつく。

 見たところ、こういう長距離のバス旅に慣れていないっぽかったので、身動きもままならない窮屈な環境に対してかなりストレスを感じていたのかもしれない。

 それとも、プライベートで何か心にかかることがあって、どうしても思い出してついてしまうため息だったのかもしれない。

 

 人って基本、赤の他人の前では自分の感情を見せないように取り繕ってるじゃないですか?

 剥き出しの感情の発露を見せられても、戸惑うだろうし、快くはないだろうと思うからだ。

 私も、隣でまったく知らない人のため息を何度も何度も何度も聞かされて、最初のうちは無の心でいられたんですけど、そのうちやっぱり(………鬱陶しいな……)と感じ始めまして。

 合間に音楽聴いたり色々したんですけどね、ずーっと聴きっぱなしなのもしんどいんで、イヤフォン外すと、やっぱり耳に入ってくる。でっかいため息。 

 

(……なんとかしよう)

と思ったわけです。

 しかし、「なんとかする」のは私の方。相手の方をなんとかするにはエネルギーが要る。

 どうするか。

 ここで必要なのが妄想力ですよ。

 

 

 この方は何故、何度もため息をつくのか?

(……もしやこの方、民なのではないか?)

と思いついたわけです。

(しかも、割と強火の牧春民なのではないか?)と。

 そうすると、今このタイミングで、ため息しきりなのは超超理解できるじゃありませんか…!

 

(いや、分かってるの。劇場版は面白かったし、お空編もまあ、見れたわ。最後はアレだったけどまあ…)

(でも、やっぱり牧くんに会いたいのよね……ていうか、春田は牧と一緒にいるのが一番いいと思うのよね…)

(もう牧春の続編はないのよね……分かってるけど……でも……!!)

「はぁぁぁ……」

とため息。

 

 これなら分かる。超分かる。

 ていうかもう、共感200%しかない。

 

 

 と、こう妄想してからはもう、まったくもってその方のため息が気になりませんでした。

「はぁぁぁ…」

と聞くたび、(分かるよ! 私もだよ!)と、手元に「イイネ!」ボタンがあったら100万回押したい気分でした。笑

 

※この方がOL民かどうかは全く分かりません

※すべては管理人の妄想です

 

 

 このように、すこーし不快というか、「快くない」と感じる状況にあるとき、自分を助けてくれるのが「妄想力」だと思います。

 昔から、いざというときにはこの妄想力を発動させていましたが、今はホントに役に立つなと考えてます!

 妄想力があれば、大抵のことは乗り切れます。

 

 この後は、「数年後の春牧」「新年の春牧」「バス旅の春牧」「温泉宿の春牧」を妄想して、有意義な時間を過ごしました。

 得るものの多い三が日でした、というご報告まで。 

御休憩処朔屋 主よりご挨拶

 あ、表題は以前、このブログのことを「RPGでHPもMPも減っちゃってフラフラで歩いていたとき」やっと見つけた辺境の宿屋のよう、と言ってくださったコメントの例えが気に入ったのでつけただけです。笑

 「休憩所」と書くとフラットな感じだけど、「御休憩処」とすると途端にちょっといかがわしさが漂うのは何故なんだろうか。

 ま、いっか。ちょっといかがわしいくらいで。

 

 お陰様で風邪はもうすっかりよくなりました。「また悪化すると嫌だから」を口実にどこにも出掛けず、寝正月をダラダラと楽しんでおります。

 色々予定していた買物も半分くらいしかできてないけど、骨休めになったので結果オーライ。

 

 ちょっと、思いつくままとりとめもなく書いてみようかなと。

 

 私がここで、自分のことを変態だ、変態だと繰り返し言うのはですね、「OLが好きすぎて、ほぼOLのことしか書かない変態ブログを運営している」というのはもちろん一番なんですが、もうひとつ、「自分の書いた記事が好き」というのもあるんですね。。

 このブログをやろうと思ったきっかけが、「OLについて書いた文章を読みたい」→「足りない」→「自分で供給しよう!」ということでもあったので、まあ言うなれば自給自足なわけです。

 もう結構な数の記事(2020年1月2日の今日現在で219本)を掲載しているので、最初から読み返すと、かなり暇つぶしになる。

 のみならず、ドラマが終わった直後や放映当時の生々しい感情も思い出されて、自分が思った以上に記録しておくことは有意義だったな、と思っております。

 

 一番最初の記事がこちら。

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 

 気がついたらもう7月ですよ。あれからひと月以上経ってるんですよ。なのに一向に衰える気配のないOL熱。

 達者な絵師さんやライターさんたちがいて、ツイッターにはかなり楽しませてもらってるけど、気が済むどころかますます火は燃え盛るばかり。

 

 そろそろこの熱をどこかに放出しないとマズイ段階になってきたので、ブログやることにしました。ずーーっと前に登録だけして放置してたはてなを思い出したんですね。

 そして、ツイッターは楽しいんだけど、私はそもそも長文書きなので、あの文字数では足りないんだ。この胸の情熱を語り切れない。

 

 というわけで、「おっさんずラブ」という稀代の名作ドラマについて、気が済むまで語ってみようと思う。

 長い長いドラマレビューになりそうな予感。

 

 とこれが、このブログを始めた最初でした。

 平均して3000文字くらいの記事を200本以上書いてまだ気が済んでない。

 当分続くんだろうな……(遠い目)

 

 

 あと、こないだいただいたコメントで、周囲にOLのことを語れる人がおらず、隠れキリシタンのようにひっそりと生きている、という内容のものがあって、それも(あっ)と思いだす切っ掛けになったのでした。

 そう、表看板には掲げてなかったけど、このド変態ブログをやっているのは、そういう、言わば「潜伏している」隠れOL沼民に、「そのままいっぱい好きでいていいんだよ!!」と100万回背中を押してあげたい気持ちもあったからだ。(押し過ぎ?)

 その気持ちをこめて書いたのが以下の記事。

 私がかつてハマった映画についてもちょこっと触れています。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 この記事もそう。ちょうど1年前の記事ですね。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 

 私が人生で最初に「ドはまり」と言っていいくらいハマった映画、「愛の言霊」は、単なる「好き」のレベルを遥かに超えた、ほとんど恋と言ってもいいくらいの熱量でひとつの対象を愛することを教えてくれた。今思い直しても、ものすごく貴重な体験だったと思うし、ハッキリ言ってあそこで人生が変わったと思う。

 恋愛と似ているけれども、例えば対象の関係の雑誌を買うとか、その雑誌がレジにはちょっと持って行きにくいとか、ハードルが高くそびえる局面が様々あるんですよね、マイナーなものにハマると。

 そこを飛び越えて、自分が何歳だとか、世間がどう思うとか、そんなことよりも、「好き!!」という気持ちに一直線に生きた毎日でした。

 その後UVERにハマって、ライブ行ったりするようになったけど、「愛の言霊」との出会いがなかったら多分、そういうハマり方を知らないままだったと思う。

 

 

 もしかすると、「おっさんずラブ」が人生でのファーストドはまりドラマな方は、私が最初感じたように、(え、このままハマってていいのかな…?)と躊躇う気持ちを抱くんじゃないのかな、と思ったわけです。

 私は当時周りが腐女子だらけという恵まれた環境にいたせいで、それほどバレに神経質にならずに済んだけど、「周りに腐女子仲間はいない」「ていうか腐女子って何?」みたいな方だと、それこそOL関係のグッズは押入れに厳重に隠して、外では「あー、なんか流行ったみたいね?」とすっとぼけていなければならない、みたいな身の上の人も少なくないかもしれぬ。

 一人でハマってるのも楽しいけど、こういうのってやっぱり、「同じ話題を共有できる仲間がいる」と100倍楽しいのでね!

 

 

 何度となく言ってるけど、常軌を逸したレベルで好きになれる対象に出逢えるチャンスって、人生でそうそうない。

 そこまでハマれる対象があるって、めちゃくちゃ尊いことだと私は思う!(ドン!)

 好きでい続けることに罪悪感を感じたり、「いい大人がいいのかしら…」と世間体を気にしたりする必要はまったくない!!

 好きでいいんです。

 好きになっちゃいけない相手なんていないんです…!!マイマイ風)

 

 

 あともうひとつ。

 最近、コメントを下さる方が増え、ありがたい、嬉しい、と度々書いております。

 それは本当です。

 が、特にコメントなしで、読む専門の方々、そこは気になさらないでくださいと、これもいつか書こうと思っておりました。

 私も愛読しているブログがいくつかありますが、基本読み専です。それと、ブログの楽しみ方は人それぞれですので、思いのままに楽しんでくださればそれが何よりでございます。

 そのまま無理されることなく、スタンスを貫いてください。

 

 

 基本的に、「管理人自身が読みたい記事」を書いて掲載している弊ブログですが、こんなブログでも、誰かのお役に少しでも立てているかと思うと、嬉しい限りでございます。

「ここへ来るようになって変態偏差値が上がった」というコメントにも胸を射抜かれました。

 変態偏差値…!

 素敵な言葉です。

 皆さん、どんどん上げていきましょう!!

 

 

 というわけで、2020年もどうぞ、このド変態ブログをよろしくお願い申し上げます。

うちの祖母の言うことには

 これまで書いてきたレビュー記事の中には、度々「天空不動産の面々がきちんと仕事をしている」ことを評価する文章が出てきたと思う。

 その通り、私は「勤労人が職務を全うする」ことはとても重要で尊いことだと考えている。

 そしてそれは、我が家の家訓というか、暗黙の了解が多分に影響していると思われる。

 

 

 年末年始、コタツでまったりしながらテレビ番組を見るじゃないですか。

 うちでも、祖母とみかん食べながら団らんしたものです。

 ある年のレコ大、大賞を獲った歌手が、胸が詰まってしまって、歌の途中で声が途切れてしまった。まあ、よくある光景ですよね。そして、視聴者の方もじーんとなっちゃったりするじゃないですか?

 ところがうちのばあちゃんは、そんなお優しいタマじゃなかった。

「仕事なんだけん、しゃんとして歌わにゃあ!」

と画面に向かって厳しく檄を飛ばしていた。

 ちょうどその年、私の友達が遊びに来ていて、それを聞いたとたん驚いて固まっていた。

 友達の中にある、「優しくてニコニコしていて縁側で猫を撫でている」ような「おばあちゃん」像と、うちの祖母が、あまりにもかけ離れていたらしい。

 

 

 この友達の「おばあちゃん」像を打ち砕くエピソードはまだある。

 多分同じ年だったと思うけど、関東のどこかの川に、アザラシの子供が迷い込んだニュースが報道されていたと思う。

 川沿いは、その可愛い姿を一目見ようと群衆で鈴なり、インタビュアーはそのうちの一人と

「どうでしたか?」

「可愛かったです! こんなところでアザラシの赤ちゃんが見られるなんて…」

「でも、可哀想ですよねえ。お母さんとはぐれちゃって」

などという予定調和のやりとりをしていた。

 このニュースを見ていた祖母、

「ボーっとしちょうけんだわ!(ぼーっとしているからだ)」

と一言のもとに吐き捨てた。

 我が家の不文律として、「子供には子供の『分際』がある」というものがあった。と思う。口に出して確かめたことはないけど。

 その理屈で言えば、アザラシの子供の「分際」とは、「母親や群れからはぐれることなくちゃんとついていく」ことであって、言ってみればそれがその子供の「仕事」なわけだ。

 途中で何か天敵の動物に襲われるとか、母親が死んでしまったとか、不測の事態に襲われたかもしれない…と、今なら反論を思いつくけど、まあともかく、そういうばあちゃんでした。

 

 

「グズグズしていると置いていくよ!」

と、靴をなかなか履けないでいる小さな子に軽い脅しをかけるなんて、よくあることだと思うけど、そんな祖母だったので、それは脅しじゃなかった。

 もたもたしていると本当に置いていかれた。

 靴紐が何度もほどけて、不器用な子供の指だからなかなか結び直すことが出来なかったりしても、待ってくれることはなかった。

 …とはいえ、それは多分子供視点の私の記憶であって、走ればすぐ追いつくくらいの距離に保ってくれていたんだろうし、本当に何かあったら待ってくれてたんだろうけれども。

 でまた、私が本当に超マイペースでボーっとした子供だったので、これくらいしないと言うことを聞かなかったのもあるかもしれない。笑

 

 

 うちで数日過ごした友達は、

「世の中にはいろんなおばあちゃんがいるんだね…」

とカルチャーショックを受けた様子で帰っていった。

 

 

 なので、「キャラがきちんと仕事をしているか」というのは、ドラマ鑑賞時においても、重要なポイントになります。

 天空不動産は、まあ細かいツッコミどころは多々あれど、皆さんお仕事に邁進されていました。某P航空は壊滅的でしたね。何しろほとんど飛んでなかったし(←まだ言ってる)。

 これまで見てきた「好きなドラマ」、色々あるけど、お仕事ドラマが結構占めているかもしれない。

重版出来!」「HERO」「きらきらひかる」「リーガルハイ」……「相棒」もお仕事ドラマと言ってもいいかな。

 今年も、キャラがきちんと仕事をしている、よいドラマに巡り合いたいものです。

2020年明けました。

 明けましておめでとうございます。

 去年は色々とお世話になりました。

 今年も変わりませずよろしくお願い申し上げます。

 

 

 さて、親愛なるOL沼民の皆さま、どのような年越しでしたでしょうか。

 私はですね……ダサイことに、風邪引いてダウンしてました。笑

 

 

 こっちに戻ってきたのが29日。

 あ、前の記事で「サザエさん的な平和な家庭とは無縁だった」とか書いたので、もしかすると緊張と暴力に満ちた家庭で暗く育ったのでは……と誤解を与えたかもしれませんが、そんなことは全然ありませんので、ご安心ください。

 うちの母がユニーク過ぎる感性の持ち主なのと、ごく普通のコミュニケーションのはずなのに、それこそまるで地球の裏側の人と話しているくらいな齟齬をきたすことがあるので、つきあうには十分な行動予測と計算、ガッツと諦観が不可欠という、それだけのことでございます。

 サザエさん的ではなかったけど、スリルとサスペンスに満ちたエキサイティングな家庭でのびのび育ちました。

 強いて言うならコナン的な?(どんなんや)

 

 

 こっちに帰ってすぐ、近所の激安店に行く。

「激安」の看板がまったくウソじゃない、正真正銘の激安店。歯ブラシ1本29円でたたき売りってさ、

「ここ、日本なの…?」

と不安になる安さじゃないですか?

 そこで、衣料用洗剤だの、お掃除シートだの、歯磨き粉だの、細々した日用品を買い溜め。

 しめて3000円で、1年分くらい賄えそう。

 

 30日、前から予定していた通り、筋トレとランニングに励む。

 仕事が忙しく、隙間時間は結構このブログ記事を書くのに費やしていて、家でじっくり筋トレするのをついつい怠ってしまっていたので。。。

 正味2時間、しっかり身体を動かして満足。

 

 

 ところで、会った時から鼻をぐずぐず言わせていた母。

「大丈夫? 風邪?」

「ううん、風邪はもう治った。これはアレルギーだと思う」

「そう……?」

なんかものすごく風邪っぽいけど……と思いつつ、本人がそう言うならそうなんだろう、と警戒せず。

 

 その夜。

 見事に私の喉が腫れました。

 やっぱり風邪だったんじゃん…!!💢

 

 はちみつを何度か舐めて、喉の痛みは和らいだ。

 そこから先進行しなさそうだったので、31日、総括の記事を書いた後、前から母に頼まれていた空き家の片付けに同行した。

 そこが極寒だったんですね……まんまと悪化しました。

 

 年越しそばは一応食べたけど、夜の9時過ぎに床に就いて、こんこんと眠りました。

 紅白もゆく年くる年も見ず。

 筋肉痛を起こしたところが熱のせいでさらに痛い。

 

 

 まあでもアレです、2019年の一番の反省点と言えば、

「睡眠が圧倒的に足りない!」

これでしたからね。。。

 もともと宵っ張りのショートスリーパー、もう若くもないので、きちんと睡眠をとらないといけないことは承知しているのですが、長年の習慣はそうそう変えられず。

 疲れが溜まっていたのでしょう。

「ちゃんと寝なさい!!!」

という神様からのお告げだと思います。ハイ……(しょんぼり)

 

 

 いやー眠った眠った。こんなにまとまって寝たの久しぶり。

 まだ本調子じゃありませんが、もう風邪は治ったっぽいです。

 善哉。

 

 今年の抱負。

ちゃんと寝ます。

 これだわ。

 

 

 

 さて、私は2019年の総括を終え、スッキリ晴れ晴れと2020年を迎えることが出来ました。

 今年もより一層、沼活に励みたいと思います。

 これから第三話のレビューに取り掛かると思うと、まだまだ書くことがたくさんある…!(幸せ)

 

 

 ここを読んでくださっている皆々様、今年もどうぞ引き続きよろしくお願い致します。

 すべてのOL民の皆様にとりまして、2020年がよき一年となりますように。

 

 

927OL事変総括

 年末です。と言うかもう大晦日

 皆さま、忙しく過ごされているのではないでしょうか。



 私は実家に帰省中です。

 こないだの日曜日、朝の出発でした。

 なので、「質問箱」への皆さんからの回答は、高速バスの中で読んで、(へえー)と感心したり(そうだったのか!)と唸ったりしていました。

 私から皆さんへの、素朴な疑問だったのですが、皆さんが寄せてくださった回答のお陰で、思いがけず927以降の自分の心の動きをなぞることになりました。

 こうして、ひとつの行動が波紋のように拡がって、予想外の結果を生むの、面白いですね。



 さて、それで得られた結論がひとつあったので、書いておこうと思います。

 改めて言っておくと、私はお空編否定派です。あれは失敗だった、と断じています。

 お空編が好きな方は読まないことをお勧めしておきます。





おっさんずラブinthesky」、そもそも誰のために作られた続編だったのか。

 続編とは、「おっさんずラブ」s1の成功があってのものでしょう。あの、テレビ史上稀に見ると言ってもいい成功は、もちろん、「おっさんずラブ」を愛して、SNSで拡散し、盛り上げてきた、ファンがもたらしたものだ。「我々OL民が」と言ってしまって差支えないと思う。

 その、熱烈なファンたるOL民のためでないのなら、何のために作ったんだろうか。

 キャストの都合で、全員揃わなかったという事情があったのは分かる。一部キャスト入れ替えとなるのも、これまでのヒットドラマでもよく見られたから、それだけなら誰もここまで否定しなかっただろう。

 だけど、発表されたsky編の内容は、今まで聞いたことがないほど前作ファンを無視したものだった。



 座長と吉田鋼太郎氏の2人が続投。

 それだけならいい。名前は前作と同じ「春田創一」と「黒澤武蔵」。



 民が一番納得できなかったのはここだ。せめて名前を変えてくれ、という悲鳴のような呟きをあちこちで見かけた。私も記事で書いた。

 しかし、その簡単な処置を、おっさんずチームは取らなかった。

 あれだけのヒットを飛ばした作品のキャラを、「使い回す」という愚挙に出た。



 単発版の春田と2018年連ドラ版の春田が、同名の別人であるように、今回もまた、「同じ名前の別のキャラ」という設定で行こうとしているのだと、最初は理解していた。

 苦悩の挙句引き受けた座長も、せめてビジュアルを変えようと髪形を一新し、新しいドラマの世界に飛び込んで行ったらしいことは知っている。

 しかし、その座長をして、(前の春田と一緒じゃん!)と脚本が苛立たせたことも、彼がちらりと覗かせた本音から伺い知れた。

 

 

 春田と牧が永遠の愛を誓った指輪の画像を投稿した数時間後に、sky編の新キャストの画像を投稿した公式。

おっさんずラブ」の成功の一端を担った「武蔵の部屋」の画像を躊躇なく消して、sky編の黒澤機長が運営する「武蔵の部屋」に変えてしまった公式。

 せめてアカウントを変えてくれと、ここでもまた、ファンの悲嘆に満ちたメッセージが寄せられたが、公式がこれらの声にこたえることはなかった。




 それならそれで、前作の影をすべて消し去ってくれるのなら、まだよかった。

 sky編の作中にちょくちょく現れる、前作と同じ小物や場所、演出。

 自分を納得させながら、気持ちを新たにして楽しもうとしていた前作ファンも、ここで遂に心が折れてしまった人もいる。




 さて、ここまで列挙してみると、もう明らかですよね。

 かつてあれだけ私たちに寄り添ってくれていたと感じられた「おっさんずラブ」公式チームの姿は、もうどこにもない。

 「おっさんずラブ」というドラマを愛し、盛り上げた我々民を無視すること、いっそすがすがしいくらいだ。

 もう興味を失ったから情報を追ってないけど、コンサートも、s1とs2、いっしょくたにやるんでしょ? s2の詳細発表前に発売したチケットで。すげーな。




 テレビ局とか芸能界の事情はよく分からないし、モンスタークレーマーになりたくなかったから、じっと黙ったまま考えていたけど、こうして振り返ってみて、自分の中で結論が出た。

 もし私がプロデューサーなら、大コケの可能性もあった前作をここまで支えて、数々の賞を獲る原動力となってくれたファンに対して、感謝の念しかないし、もしも続編がなかなか当初の意図通りにいかなかったとしても、ファンの気持ちを逆なでするようなことは絶対にしない。

 続編のクールはもっと後にずらし、劇場版が終わってからの発表にする。

 そしてもちろん、「こういうの入ってたら喜ぶんでしょ?」的な前作の小物のチラ見せなんか、厳に禁ずる。

 と言うか、牧のいない世界で「春田創一」と「黒澤武蔵」の名前を使いまわすなんてあり得ない。



 今の「おっさんずラブ」公式チームに、前作を支えたファンの姿はまったく映っていない。

 前作のファンを無視し、蔑ろにしてはばからないチームが作るドラマ。成功するはずがなかったのだ。

 sky編の失敗は、約束されたものだった。




 今の公式とかつての公式、まるで別人だ。どうしてこうなってしまったのか、知るよしもないし、もう興味もない。

 2018年連ドラ版「おっさんずラブ」の大ヒットは、テレビ史上に燦然と残る成功例だけど、2019年の続編は、前作ファンを蔑ろにした史上稀に見る失敗例として、語り継がれていくのではなかろうか。




 というのが、私的独断と偏見に満ちた927OL事変総括でした。

 あくまで私個人の、であって、もちろん「おっさんずラブ」を愛するファンを代表するものでないことは、改めてお断りしておきます。

 記事の内容的に、「我々OL民」と大きな主語を使った方がふさわしいと考えて、あえて使っていますが、不都合があるようなら変更します。

 あと、「後出しなら何とでも言える」という批判があるのも承知しています。



 私だってね、せめてs2がもっと面白けりゃと思って、3話までは努力して見たんですよ。まだあのチームへの期待があったんですよ。

 それがあの出来だもの。そりゃガッカリもしますって。

 つか、何がしたかったんだろ、あの人たち? 



 でもですね、(感謝の心を忘れた者に未来はない)という当たり前の事実に気づくことが出来たのと、この境地に至ることが出来たのとで、私の中では今年の一連の騒動にすっぱり区切りをつけることが出来たのです。

 今、非常にすがすがしく、サッパリとした気分です。

 心の中の大掃除が終わった気分。

    憑物が落ちたと言ってもいいかもしれない。 




 で、「926までのおっさんずラブの世界」=「おっさんずラブ」として、今後も変わらず愛で続けることが出来るな、と改めて思いました。矛盾するようだけども。

 OL事変に引導を渡すことで、927以降を「なかったもの」に出来るというかね。

    落としたモノは2019年に置いていきます。



 さて、「天空不動産の奇跡」の記事を今年中に書いて劇場版のレビューは終わり、としていましたが、今日中の投稿は難しいかもしれません。出来ればアップしますが、多分出来ないような気もします。

 新年一発目になるのかなあ。




 ということで、ご挨拶しておきますね。

 それでは皆さん、2019年お疲れ様でした。色々ありましたね。笑

 皆さまお元気でよいお年をお迎えください。

続・私の脳内整理術

 追記です。

 

 表題、なんかしっくり来ないというか、まあ有り体に言って(ダサイな…)と感じるんだけど、他に表現しようがないのでそのまま使用。

 「術」というほど大したもんではないです、念のため。

 

 

 ショックを受けたり悲しんだりしているときって、「心」というものの実体があって、それが揺すぶられているように感じるけど、決してそうではない、という事実を知っておくのも、自分の操縦をする上で役に立ちます。

 心とはつまり脳の働きなわけで、脳の働きは化学的あるいは物理的な変化によるものなんですね。

 例えば、私は月に一度突然

「そうだ、筋トレをしよう! ジョギングに行こう!」

と思い立つことがある。で実際そうするんだけど、ふと

(あれ、なんでこんなにもうずうずしてるんだっけ?)

と我に返ってみると、大抵生理前なんですよね。つまりはホルモンの作用なんです。

 ホルモンって、自分で出すことも出来る。

 筋トレとか、ウォーキングみたいな有酸素運動をすると、成長ホルモンの分泌がさかんになる。後、ポジティブな感情を作ってくれるホルモンも出る。

 だから、欝々としてんなーと思ったときは、身体を動かしてみるといいと思います。

 

 あと、腸内環境ですね。腸が第二の脳と呼ばれているのはご存知の通り。

 人の脳は腸内細菌に支配されていると断言するドクターもいるからビックリするけど、これが意外と、本当にそうだったりするもんね。

 

 でもなんと言っても、「疲れが溜まっているかどうか」これですよ。

 気分が晴れない、ドラマを見ても楽しめないときは、

「あれ、私、疲れてる…?」

と疑った方がいい。大抵、疲れていると思う。

 考え込むのをいったんやめにして、ホットタオルで目を温めたり、お風呂でゆっくり身体を伸ばしたり、マッサージしたりして、自分を癒すと効果的だと思います。

 成長ホルモンは熟睡中にも出ますからね。何かと役に立ってくれるいいヤツです。

 

 

 落ち込みの度が過ぎて、自己憐憫まで行ってしまうと、自力で穴から出られなくなってしまうこともあり得る。あれはあれで麻薬のように甘い罠ですからな。

 そこまで行かないうちに、何とか対処して自分をコントロールしておくのが、心の安寧を保つ秘訣だと思います。

 あと、「心の安寧を自分で保つ」のって、大人としてやっておくべき作業だとも思う。

 人前に出るときに身だしなみを整えるのと同じ。

 

 

 で、ショックを感じている真っ最中って、何か大層なことが起こったかのように受け止めてしまいがちだけど、上に書いたようなことを試してみて、

「…あれ? 治ったかも?」

てなると、(人間てチョロイな!)とも思う。笑

 それでもダメだったとき、上の事柄を試す元気もないほど打ちひしがれているときは、別の方法を考えます。

 

 

 以上、蛇足ながら追記でした。

私の脳内整理術

 前の記事に回答を寄せて下さった方々、どうもありがとうございました。

 お陰で、皆様が仰ることがやっと私にも腑に落ちました!

 

 

「言葉にならないモヤモヤを言葉にしてあった」

 これを読んで、(! そういうことか…!)と分かった。

 「言葉にならないモヤモヤを言葉にする」、それこそ、私がここでいつもしていることだからだ。

 ここでというか、日常で常に行っている、と言ってもいいと思います。

 

 前も書いたけど、私は部屋の中が散らかってるのは平気だけど、頭の中がとっ散らかってるのは好きじゃない。

「なんとなくモヤッとする」とか、「あれ、私機嫌いいな? なんでだろう?」と思うと、「何故」を究明したくなるんですね。

 特に、ネガティブな感情はそのままにしておきたくない。

 何が引っかかっているのか、明らかにして、とっとと「未決箱」から「処理済」に移し替えたいのだ。

 

 それには「書く」のが一番有効だ、というのは、昔から分かっていた。

 日記を書き始めたのは5歳のとき。そこから、大人になってからもずーっと、日記を書く習慣があった。

 波立つ自分の感情をそのままに書きつけることで、心の整理がついて、自分が何に傷ついたのか、何故怒っているのか、分かるようになる。

 分かると、次へ進めるのです。

 

 

 どうも、人は「分からない」という状態に弱いようだ。

 上司が何故迫ってくるのか分からないから、第一話で武蔵に追いかけられた春田は恐怖を覚えたし、何故あのタイミングであんな続編発表になったかサッパリ理解できなかったから、OL沼住民の多くが不安と混乱に陥ったのだと思う。

 

 ネガティブな感情って、放っとくと「腐る」んですよね。

 モヤモヤはいつしか鬱屈になり、黒い塊と化す。腐臭を放ち、言動や表情に影響を与え始める。そうなってからだと、解消するにもエネルギーが要るし、自分でどうにもならなくなったりする。

 SNSでずーっとネガティブなコメント続けてる人とか、見たことないですか?

 あれ、本人だってやりたくてやってるんじゃないと思う。苦しくてどうしようもないけど、もう自分では変えられなくなっているのかもしれない。

 そうなる前に、ネガティブな感情は解消しておく方がいいのです。

 

 

 自分が何に引っかかっているのか、どういう状態なら気が済んだのか、それを自分で把握できると、怒りや不安て割と収まることが多い。すーっと消えるというか、じめじめ鬱陶しいモヤモヤに苦しめられることはなくなる。少なくとも私はそう。

 そんで、私が人生で何に一番重きを置いているかと言うと、

「常に自由でいる」

ことなんですね。て言うとちょっとカッコイイけど。笑 でもホント。

 自由でいるということは、自分の中にも、捉われるものが何もない、ということだ。

 自分の操縦桿は自分で握っておきたい、と言いましょうか。

 だから、怒りや不安などのネガティブな感情は、大きく育つ前に摘んでおきたい。

 一番扱いが厄介な「嫉妬」は、火がつくと本当に手に負えないので、スイッチを常にオフにしておくようにしてます。

 

 私の文章を「冷静」「落ち着いている」と評してくださった皆さん、ありがとうございます。

 が、平和だったこの沼に激震が走った927、私だって怒ってました。傷つかないように自己防衛していたけど、多分傷ついてもいたと思う。

 だから、これまでのことを振り返って、じっと観察して、分析し直した。

 そして書いたのが以下の記事。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com

ktdmtokttn.hatenablog.com

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 ここまで書いて、いったん落ち着いた。

 でも、ツイッターは荒れたままでした。いつもならシャットアウトするところだけど、今回ばかりは荒れているのも分かるから、出来なかったんですよね。

 

 927以前は、ここへは基本的にポジティブな記事しか載せていなかったと思います。私が好きに書いているブログだけど、読む人に楽しんでもらえる記事を載せておきたかったし。

 荒れている沼を見かねて、初めて自分の意見を表明した記事らしきものを書いたのが以下。

 このときは若干、炎上覚悟でした。

ktdmtokttn.hatenablog.com 

 

 なぜここまで皆が悲しむのかと言えば、「『おっさんずラブ』なのに牧凌太がいなくなってしまった」これに尽きると思いました。

 そして、理由を納得したつもりだった私自身の中にも、まだ牧の不在を惜しむ気持ちがあるのに気づいた。

 そして書いたのがこれ。

ktdmtokttn.hatenablog.com

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

 これらの記事は、普段の私なら投稿していなかった内容だ。

 だけどこのときは、書かずにいられなかったんですよね。いつもなら脳内だけで済ませていた整理作業を、ここで公開しながらやっていた、というか。

 そういう視点で見てみると、収録した映像を編集して放送するところ、このときは割と生放送だった、みたいな感じ。

 

 

 それにしても、いっぱい書いたね!笑

 ここまで書きに書かないと、心の整理がつかなかったんだな。私。

 今見ると気の毒で、

「よーし、よく頑張った! 疲れたよね、お疲れ様」

と自分にヨシヨシヾ(・ω・`)してあげたくなる。

 

 

 で、私が自分自身の脳内を整理するために行っていた「言語化」作業が、図らずも、読み手の皆さんにとっても脳内整理になった、ということなんでしょうか。

 どうも、皆さんの書き込みをまとめると、そういうことのようです。

 

 これらの記事の中で、私は再三、「悲しい感情はそのままでいい」みたいなことを書いているけど、これは寄り添って書いているというよりは、ネガティブな感情を抱いたときには本当に、そうするのが一番効くからだ。

 悲しむ自分、怒ってしまう自分を否定してしまうと、それはそれで引きずるというか、長引くんですよ、かえって。だって、感じてしまうものは仕方ないですやん。

 そこは、自分を肯定してあげて、甘やかす方がいい(興味がある方は一度「インナーチャイルド」というワードでググってみてください)。

 我々みんな、いわゆる「いい年の大人」だけど、外見から心の奥の芯の方までぜーんぶ隙のない大人なんていないんだと思う。ワガママで、自分の意のままにならないことに対して「ヤダヤダ!!」と駄々をこねてる小さい子の人格、心の奥底にひそんでたりするんですよ。

 その子に対しては、

「そうだよね、ヤダよね。分かるよ。そのままそう感じてな」

と慰撫してあげる方がいい。だって子供だから。笑

 その上で、「どうすれば早く楽になるか」の手立てを、大人として考えればいいと思う。

 

 

 これらの記事を書くことで、私の中で、続編発表にまつわる諸々に対する整理がついた。

 なので、次の段階に進んだんですね。

 それは、「公式との訣別」でした。

 それを表明したのがこの記事。

 

ktdmtokttn.hatenablog.com

 

(以下抜粋)

 ドラマは面白いけど、もう撮影裏話とか、追っかけようとは思わないので、雑誌は買わない。きじPが何を言おうともう興味ない。

 「おっさんずラブ」を生み出してくれたことに対しては感謝の念しかないけれど、同時に、ファンをここまで手酷く裏切ったことに関しては、正直怒りを消すことが出来ない。

 あれだけ大好きで信頼していた公式さんだ。私だって嫌いになりたくなかった。出来るだけ、自分の気持ちをなだめようなだめようとしてきたけど、その努力は途中で放棄しました。

 だって、エンタメだよ? 私たちは楽しんで鑑賞する側の視聴者だよ?

 なぜに歯を食いしばって辛い気持ちに蓋をしてまで公式の擁護をせねばならんのだ。

 ここまでの配慮のなさ、これはもう、「おっさんずラブ」を愛して育ててきたファンを蔑ろにしている、と断じていい、と判断しました。

 私はもう「おっさんずラブ」公式を信頼しない。

 そこだけはもう、私の中で覆らないと思います。

 

 

 こうして、私の中で肚が決まった。

 「未決箱」から「処理済」への移動も完了。

 

 

 このように脳内で整理整頓がつくと、「おっさんずラブ」ドラマ本編の素晴らしさが、この度の騒動で何も傷ついていないことにも気づく余裕が生まれる。

「それはそれとして、やっぱりおっさんずラブは大好きだー!!」

と愛を取り戻して、また元気にレビュー記事の更新を始めたわけですね。

 

 

 皆さまへの問いかけは、結局自分自身を振り返ることに繋がって、とても面白い作業でした。

 ここに来てこのブログが進化を遂げているようで、毎日ワクワクしています。

 改めまして、コメントをお寄せいただいた皆さま、ありがとうございました。

 

 

 こうして見ると、嫌いなものの筆頭に「めんどくさいもの」を挙げていた私、本当に「いかにめんどくさくなく生きるか」に全力を注いでいるなあ。。

 私がなぜこういう生き方になったかも色々振り返ることが出来たのですが、それについてはまた、機会があれば書きたいと思います。